アルベール・マルケ 《冬のパリ(ポン・ヌフ)》

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アルベール・マルケ Albert Marquet
冬のパリ(ポン・ヌフ)  Neige et ciel vert, Paris (Le Pont Neuf)
1947年頃 油彩・カンヴァス 61.5×50.0cm

雪が降り積もり、薄靄がかかったようなパリの情景が広がります。マルケは若い頃からパリのセーヌ川ほとりにアトリエを構え、その眺めを描き続けました。1931年には、セーヌ川にかかる橋ポン・ヌフ近くの建物5階に引っ越しました。

1946年冬、マルケは病に倒れ、翌年1月に手術を受けます。快復後、マルケは再びパリのアトリエからの眺めを描き始めますが、夏には帰らぬ人となりました。絶筆はアトリエからの雪景色だったといいます。本作には一人の画家が愛し続けたパリの眺めが広がっています。

 

アンドレ・ドラン 《静物》

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アンドレ・ドラン André Derain
静物 Nature morte
1912年 木炭・紙 61.0×50.0cm

テーブルクロスの上に、空の器やタバコ缶、蝋燭台が置かれています。こうした画題は静物画と呼ばれ、西洋では17世紀頃から盛んに描かれてきました。そこにはしばしば寓意的な意味が込められています。火のない蝋燭台は人生の虚しさ(ヴァニタス)を意味し、タバコ(古くはパイプ)や空の器もそうしたことを暗示しました。

ドランはこの頃、キュビスムという前衛的な絵画を展開します。ここではタバコ缶の表面に書かれた「TABAC」という文字(平面)とモティーフが生み出す陰影(立体)が対比されています。こうした絵画において、ドランは伝統的なモティーフに現代的な感覚を持ち込むことで、絵画の可能性を探っているかのようです。

 

 

アンドレ・ドラン 《レ・レックの森の中》

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アンドレ・ドラン André Derain
レ・レックの森の中 Sous-bois aux Lecques
1922年頃 油彩、カンヴァス 60.0×73.0cm

1919年に第一次世界大戦の徴兵から戻ったドランは、1921年のイタリア旅行を機に古典芸術に傾倒を深め、造詣の節度と美しい秩序、厳密な構成を重んじた作風へと移行していきました。

本作もまた、厳密な構成に基づく風景画です。画面の下層からは 約15cm四方ずつに区切られた赤い構成線が垣間見え、木々が生み出す主要な造形はそれに基づいて構成されています。中央の木は画面のほぼ中央に配されており、対角線を生かした枝や葉のうねりが画面全体に動きを生み出しています。ほぼ前景と中景のみで構成された絵画空間は、規則的な筆触と強調された明暗で形作られ、キュビスムやセザニスムにおける探求が古典的構成のもとで展開されているといえるでしょう。1920年代、ドランは毎夏を決まって南仏レ・レックとその周辺で過ごし、その風景を数多く描きました。本作もそうした中の1枚です。

 

 

アンドレ・ドラン 《フランシス・カルコ夫人の肖像》

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アンドレ・ドラン André Derain
フランシス・カルコ夫人の肖像 Portrait de Madame Francis Carco
1923年頃 油彩・板 32.6×26.6cm

本作には、ドランやピカソらとも親交があった小説家フランシス・カルコの妻が描かれています。額を出しすっきりとしたショートカットの夫人の髪型は、肩を出したシンプルなドレスと相まって端正な雰囲気を出しています。

夫人は前髪をかき上げたボーイッシュな髪型をしています。ドレスは、ファッション雑誌『ヴォーグ』にみられるような、スタイリッシュなイブニング・ドレス(夜会用のドレス)です。先進的な芸術家たちと交流のあった人物らしく、モードを取り入れた装いをみせています。

 

 

アンドレ・ドラン 《裸婦》

 

アンドレ・ドラン André Derain
裸婦 Nu assis
1929年 油彩・カンヴァス 34.0×21.0cm

本作はコレクター上原昭二氏が初めて手に入れた油彩画です。当初、そのよさがわからなかったものの、信頼する画商の薦めもあり、この作品を購入したといいます。上原はこの作品を眺めるうちに徐々に魅せられ、のちには「足長お嬢さん」の愛称で親しむようになりました。

購入当初、実家で暮らしていた上原は「買ってから3年間も分不相応なことをしたと怒られるのが怖くて、父に見られないよう押し入れに隠していました」。この作品を初めて部屋に飾ったのは、自分の家を持ったときだったといいます。上原近代美術館のコレクションのはじまりを象徴する作品です。

 

 

黒田清輝 《風景》

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黒田清輝
風景
制作年未詳 油彩・カンヴァス 54.5×38.0cm

木立の中に鮮やかな緑が広がる風景は新緑の時期でしょうか、草むらにはピンクや黄色の花が所々に咲いています。

黒田は木々を断ち切るような構図によるこうした風景画をしばしば描いています。筆の跡が重なるような緑の広がりは、「外光派」と呼ばれた黒田独特の光の感覚に満ち溢れています。

藤島武二 《朝熊山より鳥羽の日の出》

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藤島武二
朝熊山より鳥羽の日の出
1930(昭和5)年 油彩・カンヴァス 32.6×45.6cm

本作には、三重県伊勢市にある初日の出の名所、朝熊山から望む日の出の光景が麗しく画面に広がっています。藤島が「日の出る前の空の色の美しさ」に感嘆し、「水平線に出來るだけ近い、新しい赤い太陽」が見事に描きあらわされています。

1920年代後半、皇太后府からの依頼をきっかけに、日の出(旭)を求めて日本各地を巡り、さらには台湾やモンゴルにまで及んで取材を重ねました。本作もそうした探求の旅のなかで生み出された一点です。

藤島武二 《龍眼肉静物(茘枝)》

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藤島武二
龍眼肉静物(茘枝)
1931(昭和6)年頃 油彩・板 15.0×22.6cm

本作には、主に中国や台湾に生息するライチの実が描かれています。現在は日本でも流通しているライチですが、鮮度が落ちやすいため、当時は入手が困難だったといいます。枝ごと採ったライチの実は、鮮やかな赤色をおびています。異国情緒溢れる果実に関心を寄せた藤島の視線を、ここに垣間見ることができます。

安井曽太郎 《静物》

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安井曽太郎 
静物
1912(明治45/大正元)年頃 油彩・カンヴァス(板張り) 46.1×54.9cm

1907(明治40)年、安井はフランスに渡り私立の画塾アカデミー・ジュリアンに入学すると、ジャン=ポール・ローランスに師事しました。本作は3年近く通った画塾を辞し、自由な制作を試み始めた24歳頃に描かれました。

砂糖壺に反射する4つの小さな白い四角は窓の光でしょうか。薄暗い部屋の様子からは、自らの芸術を生み出そうと模索する画学生の生活がうかがえるようです。

安井曽太郎 《薔薇》

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安井曽太郎 
薔薇
1931(昭和6)年 油彩・カンヴァス 60.5×48.8cm

白い花瓶に生けられた薔薇が力強く描かれています。この白い花瓶は関東大震災の直後、妻の実家の焼け跡から見つかったと言われています。安井は本作について、「白色がきれいだった。その時分僕は白色を好んだ。しぜんその時代の作品に白色調のものが多く、この絵もその一つであった」と述べています。